2019 ツールド沖縄 市民210km 後編

結果 2019ツールド沖縄市民210km  26位 / 287名出走


レース当日。まだ暗い時間に起床し早朝からやってくれている
ホテルのビュッフェ会場で朝食。
いつもはコンビニで頭を悩ませ買ってくる朝食だが、ホテルの充実メニューで
しっかりエネルギーを補給しておく。


会場までレンタカーで移動し、肌寒い中準備をしているうち
夜空が明けていく。何とも心地よい時間帯。


レース会場でチームメイト松木さんと合流。久々に会う面々もいて心が安らぐ。
レースは長いのでアップなし。


そうこうしてるうちにレーススタート。
昨年よりは意識的に前方に位置し、序盤の障害物レースをやり過ごす。
皆元気な序盤は少しの隙間も周りの選手が埋めてくれるのでほぼ足を使わずに走れる。
常にチームメイトの見える位置で。


本部半島を回り58号線へ出ると、いつものような向かい風がなく比較的走りやすい。

逃げを見送っている集団は、本当にサイクリング。
1回目の普久川はかなりゆっくり。位置取りだけ気を付け有力選手が見える位置で
こなす。下り区間に入り自然と集団が絞られた。昨年よりはスリムな集団。
エンデューロ並みだが走りやすい。

奥の登り口で松木さんとトイレ休憩。
そこから集団復帰にわずかながらエネルギーを使う。


今年は落ち着いてしっかりと予定の補給食を食べることが出来、2回目の普久川へ。
アプローチで亮くんがペースアップ。さらなるリストラに成功した集団。
中腹で有力どころがアタック。ここで10名程度が抜け出たもよう。
自分は背伸びせず淡々と。自分のレースに集中していく。下りきっての学校坂は

数名の選手と。
前からこぼれてくる選手。後方から追いついてきた選手含め20名程度の集団となり
東海岸を一路南下。
しかし思うようにローテーションが回らず、松木さんが逃げているが追走OKと
信哉さんに確認し、一緒にローテを回す。

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数年前、この沖縄でトップレベルだった選手たちは全くローテに入らず
回せ回せと周りに指示をするだけ。一流のバイクが泣いていた。
しかし市民210kmも高齢化問題の波が押し寄せ事態は深刻だ。
数年後には50代選手たちが市民210kmの優勝を争っているかも?
「ホビーレーサーの老人ホーム」にならぬ様気を付けよう!!


若手モッチー、頑張れ!(笑)


終盤、羽地ダム前、カヌチャを下ったあたりだったか?信哉さんが抜け出し
数名が追走。その後方に位置しそのまま羽地アプローチ。

今思うと、ここで自分も前待ちし脚の残り具合を確認しておくべきだった。
今年のコンデションではまだまだいけたはずだが、少し出し惜しみをし後方に埋もれる。
ここら辺の詰めの甘さが自分らしい。

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結局、最後は6~7名で20番手争いの無意味なスプリントをこなしぶっちぎりの

ドンケツゴール。
だがそこそこ満足。(詰めが甘い!)

 

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昨年の61位から大幅な進歩を遂げ、年を増すごとに順位が上向き
レースをやめるタイミングを逸してしまった感がある。


また来年も、もっともっと楽しめるよう準備しよう!!

最後に。。。44歳の年にゼッケンが440番だったのは偶然だったのか??

 

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2019 ツールド沖縄 市民210km 前編

しばらくBlogの更新が滞っていましたが
生きてます。


通算3回目となるツールド沖縄の市民210kmに参加。
「ホビーレーサーの甲子園」と一部では報じられているが、もうトップ連中は普通のフルタイムワーカーではない人ばかりだし本物のホビーレーサーなんて皆無。
また「1年間沖縄のために命を懸けてます」という人も多いと思うが
自分はいたって普通レベル(ドノーマル)。


そんな普通の人間が国内TOPレベルの変態たちに敵う訳はないが
年に一度の公道を使ったラインレースということで今年も’観光’を兼ね’楽しく’参戦。


金曜日の午後那覇入りしレンタカーで恩納村。かりゆしビーチリゾートホテルへ。
春の合宿で使わせていただき、ホスピタリティの高さに早速リピーター。
今回は宿泊した部屋が海側ではなく、山側の為さざ波の音ではなくヤンバルクイナの鳴き声に戯れる。

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チェックインした後、いつも以上に丁寧な梱包をしたバイクを
組み上げる。予想以上に時間がかかったが、忘れたはずの夜間走行用ヘッドライトが
シューズの中になぜか入っており、組み上げたバイクのチェックを兼ね名護市内

往復ライド。約30km。


半袖、短パンが気持ちよい。夜はゆがふん前の「ゆきの」さんで夕食。
金曜夜の定番。


明けて土曜日は、いつも地元で練習を共にさせていただいている「Team Ashiviva」のメンバーたちと市民50kmコースの試走と少しだけ観光。
皆さん初めての沖縄ということで、テンションが高く、ローテーションのスピードが

まちまち。
分かります。初めてだとかなりテンション上がるのが沖縄です’からね(笑)

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少し寄り道をし古宇利島を1周。いつ来ても変わらず素晴らしいロケーション。
お昼前には解散。ホテルまで自走で戻り、レンタカーで受付会場へ。

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その後Team Ashiviva代表の普久原さんから教えていただいたソーキそば屋

「我部祖河食堂本店」さんへ。
ここは文句なしにおいしい。沖縄で食べたソーキそばで断トツ1位。
多くのリピーターさんが居るのがよくわかる。

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午後はレンタカーで市民210kmコースの後半部分を試走。
展開を予想しているだけで脚に乳酸が溜まってきた。
もちろん展開には乗れませんが(笑)
からのイノーコーヒーで癒しの時間。

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ホテルに戻ってからは補給食の準備や、バイクのメンテ、ゼッケンプレート貼りなど
あっという間に時間がすぎてゆく。

レース当日は早いのでやることやって直ぐに就寝。

2019全日本自転車競技大会ロードレース(エリートクラス)

2019/6/30
自転車競技キャリア初となる全日本選手権へ参加。


毎年、地方で行われることが多いこの大会だが今年は来年のオリンピックの前準備
的な位置づけなのか、オリンピックのゴールとなる富士スピードウェイで開催。
富士スピードウェイ(FSW)と言えば、自分が高校生だった数十年前、東京の実家から原付バイクでJGTC終戦「富士インターテック」を観戦に来た思い出の地。

目当てにしていた星野一義さんが駆る「カルソニック スカイラインGTR」がスタート直後の1コーナーでコースアウトした思い出が(笑)
前職の新人研修でも富士のGT選手権に来た覚えがある。。。


何はともあれ近場ということで今年の前半戦の目標として意識していた大会。
前日土曜日に会場入りするが、濃霧と雨風が強く明日の大会開催が危ぶまれる。
昨年の富士チャレ200kmも雷雨の影響で中止になった。


土曜日18:00~の試走は濃霧と日没の影響で1周しか走れず、コースの雰囲気を掴む程度になった。
明けて大会当日朝も会場周辺は雨風強く、テクニカルなコースの難易度をさらに上げていた。霧が出ていなかったためスタートディレイも無く予定通りレースは開催。
序盤のハイペースに耐えうるべくアップもしっかりと行う。集団先頭をキープできないクラブチームはレース序盤のインターバルに耐える必要があるので。

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スタートラインに並ぶと最前列には新城選手や、別府選手と言ったワールドクラスの選手たちが。このスタートラインに並べるという事に感謝。


レース開始直後は先導車によるパレードランだが、前に行きたい選手が強引に抜いて行く。
自分は路面コンデションを確認し、まだ攻略できていないコースレイアウトを頭に叩き込みながら呼吸を整える。そしてリアルスタート。

テクニカルな起伏のあるコーナーが連続するため、かなり神経を使う。1周目に自分が見えた範囲で2名が落車。下りのグレーチングでは前走者のボトルが吹っ飛ぶ。メインスタンド裏の登りがこれまたなかなか長く、ど平坦な場所がコース中ほぼ無い為一息付ける場所も無い。平坦なコーナーも少なく、大体コーナー入口にグレーチングかマンホールがある。予想通りだが、180°の鋭角コーナー後の登りで先頭がペースを上げると後方に居る選手たちは悶絶インターバル大会。じわじわ遅れるが後方にも沢山の選手がいる為無理に前を詰めず、ペースの合う選手たちと安全に走る。しかし、下りながらのコーナーが多く前走者から微妙に離れるとその後の登りで脚を使う。

しばらくこういったシチュエーションが続き、2周目後半には集団(既に後方グル
ペット)から千切れる。その後3名程度で走るが、なすすべなく3周回でDNF。

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自分のレベルでできる事は限られているとの認識があったが、コースの難易度に加え雨、霧が追い打ちをかけた。翌早朝から仕事の有る身としては絶対にリスクは負えない中での参戦となり、悔しい気持ち反面、全日本選手権とはどういう舞台なのかを味わえた非常に価値のある週末となった。

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大会自体、ロードレースの日本一を決めるにふさわしい悪条件と長距離。
相当な決意が無いと完走すらも出来ないレース。

レースを会場で最後まで見届けたが、本当のプロフェッショナルの闘いを目の前にし
身震いがするほどアツい展開だった。これが全日本なのか?普段は感じることのない感情が沸き起こる。
今後自分は、年齢的に見ても大幅な競技力アップは望めないが、その中でも日々の生活をしっかり送ること。出来る環境の中で日々節制し健康的メンタリティを保ち、1年で1mmでも良いので前進していきたいと思った。


今回も福岡から遠征し、会場では完璧なサポートをして下さった佐藤監督と、ミキさん。ありがとうございました。
チームメイトの武井君、仲松さん。同じピットでお話しさせて頂いた井上亮君。
お疲れ様でした。またそれぞれの環境の中最大限頑張りましょう♪

いつも素晴らしい写真を撮っていただいている酒井さん。悪天候の中ありがとうございました!

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2019開幕戦から翌週末

2019年開幕戦の修善寺。初日は距離も短くペースも安定していたので何とか
完走。2日目は外人選手が本領を発揮し、完走僅か7名の超サバイバルレース。
予想はしていたがここまでとは。完全にカテゴリーが違うような格の差を見せつけられた。
今年のJプロツアーはこのような展開も十分予想できるがその分チャレンジのし甲斐があるし、強い選手と同じレースを走れる環境には感謝をしたい。

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先週の土曜日。地元の御世話になっているショップさん主催のトレーニングライドへ参加。
今年からJBCFのレースへ参戦する方たちが多いこのチームだが基礎をしっかりと叩き込まれている為皆きちんと走れる。いわゆる初心者集団に良く見られる千切り合いも無く、周囲と呼吸を合わせたうえで早く走る内容。昨年暮れに参加させて頂いた時より数段走りの質が上がっていてビックリ。皆さんの初戦は5月の宇都宮ロードレースからなので、こちらの結果も楽しみ。皆さん一緒に頑張りましょう♪
翌日曜は地元のいつものコースへ単独練。途中栃木県内で3日間に渡り開催されていたツールド栃木がトレーニングルートを通過するため10分ほど交通規制が掛かっていた。地元で練習に出るとUCIレースが開催されている環境ってなかなか日本国内では珍しい。環境に恵まれている証拠。

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その後いつもの登りコース。20分走×2本。約5倍出力で。

レース後はつい踏み込み基調のペダリングになっていることが多いので練習の移動区間などでは意識的に高回転で無駄のないペダリングをカラダに思い出させる。
そして練習ではさらに重いギヤを掛ける。ケーデンスは今まで通り。つまりスピードは上がっていく。まだまだ時期的には基礎練期間でもあるので
焦らずにしっかりベースを作ろう!

そしてまた合宿したい!
前半戦を消化したら、しっかり休息を取りまた南の暖かい地域でゆっくり調子を上げていこう!

No Music No Life 自術伝①

先日の合宿中、自分が高校生の頃バンドをやっていたことを話したら
反響があったので自分の音楽履歴をまとめてみたい。(自分の為に)


長文、自転車ネタない為興味ない方はスルー下さい。

 

40過ぎのおっさんともなるとそれぞれ歩んできた歴史が少なからずある。
明日何かの拍子に死んでしまったらこの履歴を残すことが出来ない。
最近はそんなことを考え極力自分の中にだけ眠っている
記憶や記録を残すことを心掛けている。誰も必要とはしないだろうが(笑)

ちなみに誰かから余命宣告を受けたわけではありません!


自分の両親は当時の「日本コロンビアレコード」に勤めていた際に知り合ったらしい。
私には3歳年上の姉がいて幼少期の音楽的影響はピアノを習っていた姉から受けた。


小学校低学年の頃初めて買ったカセットテープは「米米クラブ」の「パラダイス」という曲。当時飲料水のCMで流れていた。時を同じくして良く聞いていたのが「バービーボーイズ」。あとになって歌詞を読み返すとずいぶんと大人な内容だった。
80年代のバンドブームまっただ中。TVやラジオでは数多くの音楽番組がやっていた。小学校のころから夜寝る時にラジオを聞く習慣があり、「吉田照美のふっかいあな」とかは良く録音までして聞いていた。この番組の中であったコーナー「とんねるずの??」短い時間の中でリスナーからのお便りを基にした一発ギャグがめちゃくちゃ面白かった。
とんねるずと言えば「夕焼けニャンニャン」でやってた「タイマンテレフォン」。一般人と電話で怒鳴り合うという今では不可能な企画物のコーナー。面白かった!
番組特製テレフォンカードが当選しラジオで名前が呼ばれたときの喜びと言ったら!!
未だに実家に保管中。


土曜の13:00から聞いていた「コーセー化粧品歌謡ベストテン」ではその時期流行りの音楽をチェックし、翌月曜日に学校の同級性と音楽の話題で盛り上がっていた。
「カルロストシキ&オメガトライブ」などもこの時期。アイドル全盛期ではあったが残念ながら自分はあまりアイドルに興味が無かった。


親が知人から借りてきた「ビートルズ」の全アルバムを聞いたのもこの頃。
良く頭をハンマーで殴られたような衝撃云々という話を聞くが自分にそれは無かった。
それより「ストロベリーフィールズフォーエバー」の湿っぽい曲調がイギリスの天気を表現しているかの如く小学生のこころの不安を煽った。


小学校運動会の騎馬戦のテーマ曲は「YMO」のライディーン。時代を反映している。
こういった無意識の中で音楽が身近にあったのだと思う。
ちなみに「YMO」の中で一番好きなのは「ビハインドザマスク」。当時から坂本教授の曲には人を引き付ける何かがあったのか?いわゆるハートビートと同じ周波数帯。
もちろん細野晴臣さんのハッピーエンドも大好き。ユキヒロさんのサディスティックミカバンドも。


中学に入り段々活動パターンが深夜へとなり特に週末の深夜はわくわくする番組が多くやっていた。この時期にもっとも私に音楽的な影響を与えたのはアメリカのTV番組「MIAMI VICE」
マイアミを舞台に麻薬組織を追う二人の刑事の物語。この番組中流れるサンドトラックが当時全米でヒットしていた曲をランダムに流すというとても洒落たドラマだった。
ヤンハマー、フィルコリンズ、ダムド、グレンフライなどなどこの番組を通して知ることとなる。また当時通っていた中学の同級生にめちゃくちゃギターの上手な子がいて、一時期毎日一緒に学校帰りその子の家でギターを教えてもらった。彼が使っていたギターはESP製の「キラー」。ひいていた曲は「ラウドネス」の「ミルキーウェイ」。今でも鮮明に覚えている。無類の高崎晃ファンだったその友人が使い古したESP製の「クレーマー」を購入。必死に練習したが一向に上手くならない。そう。題材としていた曲が難しすぎた。


中学を卒業するころには「クレーマー」を手放し、「ラウドネス」のような激しい曲も聞かなくなった。自分が中学2年生の時、かの有名な「BOOWY」が東京ドームで解散コンサートを行い、当時私の実家の家業にアルバイトで来ていたお兄さんが私に熱く「BOOWY」を語ってくれた。もちろん解散LIVEも見に行ってたようだ。そのリズミカルで分り易いメロディーは素直に自分の中に入り込み、全国的に欠品が続いていた「BOOWY」コンプリートという10枚組のCDを秋葉原のCDショップ1件1件めぐり探しだし即購入。すぐにハマってしまった。その後「フェルナンデス」の「テレキャス」を購入。(布袋ラインが無い真っ黒なモノ)「BOOWY」のコピーに取り組んだ。
クイーンもこの頃よく聞いていたバンドのひとつ。最近流行っていますが20数年前に私は聞いてましたよ(笑)映画「TOP GUN」が流行っていたのもこの頃。


自分が中学2年生当時、都内では「J-WAVE」というラジオ局が開局。
良く深夜のテスト勉強時J-WAVEを聞いていた。朝方の時報の際に流れるジングルが大好きだった。(勉強をしたぜ。という達成感があった(笑))平日20:00頃にやってた「TOKYO SONIC WAVE」のジングルは田島貴男。めちゃくちゃ格好良かった。
この中学2年の時、葛飾区海外派遣事業でニュージーランドへ10日間のファームステーへ行った。この時ウォークマンに入れて持って行ったのが何故か「TMネットワーク」と「世良正則世良公則はベイシティコップという刑事ドラマのエンディング曲を歌っていたので当時自分の中のヒット曲だった。TMネットワークは勿論「Get Wild」。シティーハンターのエンディング曲。


時を同じくして葛飾の実家から神奈川の江の島まで自転車で日帰り旅をしていたのもこの頃。当時の愛車はロードマン。高校になりレイダックに移行。
その時に一緒に行ったのが「ラウドネス」好きの彼。行きは楽しく、帰りは一言も口を利かず帰ってきた。その後彼は私と一緒に自転車に乗ってくれなくなった(笑)
江の島の海の家ではどこもかしこもサザンオールスターズの「真夏の果実」が流れていた。
稲村ジェーンが流行っていた。加勢大周はいずこへ?


高校進学がさらに自分の中の音楽的広がりを増すことになる。実家のある葛飾区から高校のある杉並へ毎日電車通学。毎日都心部を通過する中で同級生との遊び場は新宿界隈。良く行くCDレンタルショップは神保町。このレンタル店には当時フリッパーズギターを結成したばかりの小山田圭吾君(現コーネリアス)が良く訪れていた。
当時私が学校帰りにアルバイトをしていた「森永ラブ 水道橋店」も目と鼻の先の立地。
森永ラブ」とは森永が経営していたファーストフード店。その後「バーガーキング」に買収されることに。
西新宿のマンションの一角にあるレコード屋にも良く通った。


高校の同級生の中には本格的にライブ活動を行っている人が数名居た。「ZIGGY」のコピバンをやっていたその友人のライブを良く見に行ったりもした。対バン組んでた「THE MODS」のコピバンがあまりに完成度高く自分のギターテクでは競争力が無い事を思い知る。そのバンドには既に多くの女性ファンがいてワーキャーと付いて回っていたのが印象に残る。


クラスの中で一般的に流行っていたのは「COMPLEX」とか「B’z」とか。
男子校だったのでなぜか昼休みに吉川晃司の歌まねで「マジェスティックベイビー」を歌ってるやつがいた。2011の東日本大震災復興支援で再結成した「COMPLEX」には涙した。


当時自分は剣道部の1つ先輩と音楽の趣味嗜好が合いその後バンドを組んだ。先輩は「ラフィンノーズ」派。私は「ウィラード」派。共にジャパニーズパンクバンドの代表格。スタジオではそれぞれの曲を選曲しコピーをしていた。ピストルズなんかもコピーした。簡単だったので。この先輩は後にDJとなりその後「有頂天」のケラさんが主宰する劇団で働いていたとか。バンド活動はゆるーく楽しむ程度。高田馬場のスタジオに良く行っていた。


当時私は「オービルバイギブソン」のレスポール、カスタムを使用。
これは「ウィラード」のギターSHINが使っていたので同じ色のものを手にした。
国内では当時渋谷系という音楽が流行り出し、「ピチカートファイブ」「オリジナルラブ」「フリッパーズギター」などが流行った。「スーパーカー」や「かじひでき」などもこの流れ。後にトーレヨハンソンのプロデュースで一躍有名になったボニーピンクなども渋谷系の派生?


音楽の趣味がアメリカからイギリスへ移行していったのもこの時期。
イギーポップ、デビッドボウイ、ルーリード、U2などはメジャーどころ。先輩から教えてもらって良く聞いていたのがジーザス&メリーチェーン、ストーンローゼス、スマパンレッチリ、ニルバーナ、マニックストリートプリチャーズ、ビョークradioheadシャーラタンズジャミロクワイザ・スミスなどなどその他多数。ティーンネイジファンクラブの「バンドワゴネスク」はいまだにお気に入り。先輩がセレクトしたソウルミュージックを1本のカセットテープにまとめてくれたものも良く聞いていてその後の大学生活中にも良く車で流していた。ちなみに当時流行っていた「R.E.M」はかなり後になり聞いて感動した。「Coldplay」が多大な影響を受けたのもうなずける。


こんないわゆるマニアックな音楽を聞きつつも、巷で流行っていた、「B’z」や「チャゲアス」。「BonJovi」などPOP路線も聞きわけた。高校入学当時良く聞いてたのは「JustyNasty」。


メディア的な影響を受けたのは「大貫憲章」さんがやっていた「ロンドンナイト」。
FM FUJIでも憲章さんの番組がやってたが都内まで電波が届かず良く聞こえなかった。
ローリングストーンズやエアロスミスヤードバーズ、クリーム、レッドツェッペリン等もピンと来たのは成人してからかな?

 

意識的にマニアックなバンドを選んで聞いていた自分だったが大学進学と共に大きな転機が。


つづく。。。かな?(不定期)

沖縄合宿

1日金曜日に那覇入り。

 

空港で自転車を組上げ自走で恩納村にあるかりゆしリゾートまで。


約60km程度。ホテルでシャワーを浴び夕食を済ませ屋我地島のSHIDO中尾君宅まで。
早速乾杯しているメンバーが居たり。。。早く寝たかったのだが。。。(笑)

 

 

2日土曜


SHIDOからは中尾君とモッチーの二人。駿君は明日のヒルクラに向け休息日。
やんばる地を北上し与那をのぼらずそのまま北上。奥をツル沖と逆回り。
そのまま半島北部を1周。高江の売店で休憩。


そこからはツル沖コース。天仁屋、カヌチャ、羽地を抜けオリオン坂を下り終了。
羽地を逆走で登ってきた駿君とドッキングし流す。
名護市内にあるイノコーヒーととりこパンを堪能。

 

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3日日曜


急遽参戦することとなったヒルクライムレース。コースプロファイルを一度も見ずに走ったが年代別で優勝。総合でも3位に入れてよかった。
この時期に沖縄で合宿を行っているプロチームたちがMENUを行うコースとの事で
勾配変化が大きく、リズムが掴みにくい。一筆書きで走れないコース故プロがトレーニングしているのだろう。なかなかキツかった。
レース終了と共に物凄い雨が降ってきたが昼食をとっていたら止んだのでそこからまた練習。本部半島を1周回。
今日は雨風と追いかけっこのような1日だった。


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4日月曜日


朝から物凄い暴風。確実に15m超。立っていられないほど。
今日もスタート時間を遅らせ様子を見ての練習開始。
SHIDO中尾君、モッチー、駿君にお付き合いいただく。
風の影響が少ないと思われる東海岸へ行くべく真喜屋FMから裏羽地を登る。
登りの度に中尾君がアタックしてくれるので先週の都ロードのようなインターバル練が出来てありがたい。キツイけど。。海岸線沿いは東側も風が強く東村まで5分程度でローテーション。天仁屋で中尾君から千切れてしまった。肺が痛い。
スピード変化には回転で付いて行けるようになったがそこから踏み抜く体力がまだ足りない。クランクを変えてから気になっていたダンシングのリズムだがこの合宿でいくつかの引き出しを増やすことが出来た。と思う。
東村のパイン工場わきから農道のような道に入りしばらくアップダウンが続く。
そのまま西海岸へ突っ切り、屋我地を目指す。今日はMin100kmと宣言してしまったので。
猛烈爆風の西海岸を最後まで踏み切れたのは中尾君、モッチと自分。
ずっと沖縄に居るメンバーはやはりしっかり走れている。一方自分はまだまだ途上中。
これだけ負荷を掛けたので、しっかり超回復を促しまたワンランク上の強度を維持できるようになるだろう。


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5日火曜日


最終日もかりゆしさんから空港まで自走。インナー固定。回転だけでスピードを維持する練習。踏んだところから原点回帰の回転練。
ペダリングが少々雑になっているのがすぐに解り修正する。


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この5日間の走り込みでポジションも夏仕様に変化したし、冬場につかえていなかった筋群も意識できるようになってきた。あとはこの成果をトップシーズンに繋げていくだけ。

 

伊豆合宿

2月22~24日の週末で伊豆合宿を開催しました。

 

週末の合宿に向け金曜仕事終わりに移動。

今回は新4号バイパスを南下し五霞ICから圏央道へ。

高速乗ったのが20時前後だった為渋滞も無くスイスイ。

圏央道から小田厚抜けて箱根新道。いつもは伊豆スカ経由だが金曜の宿は

伊豆の国市の為そのまま箱根新道を三島側へ下っていく。

 

昨年乗りかえたマイカー(BMW 320d F31型)の乗り味も確認したかったので。

やはりディーゼルエンジンは街乗りから峠まで、普段使いの領域がトルクフルで扱いやすい。ハンドリングはFR特有のオンセンターからの微舵の動き出しが鈍いが重量バランスの影響か接地感がしっかりしている。キャスター角何°位でしょうか?

旋回中切り増ししていっても接地感が抜ける感覚も少ない。これは転舵キャンバー変化の影響。ピュアスポーツではないが車両重量に対するリニアリティーは素晴らしい。

 

23時過ぎにお宿着。風呂入ってからすぐ就寝。



翌23日土曜日。当初は雨予報だったが前日の予報では回復傾向。

集合時間を2時間程後ろ倒しし大仁近くの鰻屋で集合。昼飯食べていざスタート。

 

天城越えすべく国道を南下するが天候が回復した為か観光客?のクルマが大渋滞。

さらにはパンクするメンバーが居たりと練習とは程遠く。

 

一旦仕切り直しの為修善寺温泉まで戻り、そこから戸田峠、西伊豆スカイラインを走る。

今回ご一緒した松木さんがやはり良いペースで登って行ってくれるので後ろに付いているだけで良いトレーニングになる。

明日は都ロード参戦の為今日はこのくらい。宿に戻りお風呂で長風呂。

沼津まで夕食を食べに行く。完全に食べ過ぎ。

血圧の乱高下の影響か頭がぼんやりしだるさがある。

 

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翌24日日曜日。

 

大仁のホテルから伊豆サイクルスポーツセンターまで自走。

そのままコースを3周ほど試走し、ウィンドブレーカーを脱ぎ直ぐにスタートラインへ。

途中UKYOが抜け出し追走に数名。松木さんも入っていた。

 

後ろの集団は抜け出したい選手が登りの度に飛び出す為毎回インターバル。

ラスト2周の秀峰亭で千切れ1周してきた秀峰亭で足切。最終足切者だった。

 

やはりレースに出ないとこれほどのインターバルはしないので良かった。

その後自走でホテルまで戻り再度昨日と同じコースへ。

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なかなか良いトレーニングとなりました。

 

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